幕末志士について


私はとても怖いです。大人になること。歳をとること。幸せな生活を送らなければならないこと。 何かを振り切って捨てないと(その何かっていうのを文章化するのは難しいんですけど)、先に進めないんじゃないか、って私は不安なんです。そしてその何かというのは、私が今までとてもとても好きで大事にしてきたものな気がするのです。けれど、時なんて止めようがなくて、皆昔の方がよかったと思いながら生きているんだから仕方ないのだと、思い込んで、思い込もうとして、うまくいかない日々がずっと、この何年も何年も続いています。私はどうしてみんなと一緒に成長できないんだろう、という、劣等感と焦燥感で焼ききれそうでした。


ある有名ゲーム実況者がいます。私が彼らを知ったのは中学生くらいの頃だと思います。その頃はニコニコ動画がとても流行している時期で、ゲーム実況というものもどんどん地位が確立して、コンテンツの1つとして世間に認められてきていました。私も例に漏れず、動画文化を浴びており、もちろん彼らの代表シリーズくらいは見ていました。えらい面白いなあ、くらいの感覚でいました。最近になって、そういえばいたなと思って、なんとなく過去の動画を追ったり、今やっているラジオを聴きだしたんですけど、中学生の頃に抱いていた、面白いなあという気持ち以上に、胸に詰まる感情がありました。


それは、大袈裟な物言いをすると、希望に近いと思います。こんな風に生きている人がいるんだ、という希望です。


自分たちが面白いなと思っていることをやって、自分たちが笑ってる。それが主体であり、それに視聴者が付随している、という体型なわけです。彼らは、小学生からの幼馴染で、小学生から変わらずに、ずっと同じように遊んでいます。ただ子供のように遊んで、笑って、ずっと続けられている人がいるということが、今の私にとっては、とてもとてもとても凄いことのように思えました。彼らのことを好ましく思うのは、優先されているのは彼ら自身だからです。もちろん視聴者に対しての工夫も多数ありますが、自分たちでやったことを自分たちで笑えるかどうか、という基準があったり、相手を笑わせたい、というものが原動力の一番目に来ているところに、胸を打たれます。もちろん有名実況者ですから、しがらみやらなんやらもあるでしょうし、お金関連や、自分たちがコンテンツ化されていくことに何も思わなかったことはないはずですし、子どものころと全く同じではないでしょう。そもそも大人で、環境も違いますから。それでも、こんな風に生きている人がいること、同じように変わらなくて、それでももっと面白いと思うことができること、また、そのことを楽しんでいる人々がいること、全てが私にとっては希望のように思えました。彼らは大人として、責任はあるでしょうし、お勤めもされてると思いますが、それでも何かを失わずに生きているように、私には感じました。


大人になって、変わることなんて、義務ではないのではないか。自分が面白いと思うことはやれるし、何かを捨て去る必要なんてないんじゃないか、と初めて思えたのです。


私も、地元にとても仲の良い友達がいます。夜中に漫画を読みにいったり、夜通しゲームしたり、誕生日をみんなで祝ったり、特に意味もなく工作したりとか、小学校の時の遊びと変わらずに、同じ半径の中でずっと生きてます。でもいつか、誰かが結婚したり、転勤したり、環境が変わったら、同じになんてなれないって分かっています。あの頃と変わらないねえ、ときゃあきゃあしていたって、私たちは変わってしまうことを分かっていて、ノスタルジーを抱えながら笑っています。それが時折妙に悲しくなってしまうことがあります。


それを彼らは、そんなの大丈夫だよ、と笑い飛ばしてくれた気がするのです。もちろん実際に彼らはそんなことは言ってないし思ってない気もするけど、私はとても救われた気持ちになりました。変わらなくても大丈夫だし、変わってしまっても大丈夫だと、そんな風に思えました。これは私にとってすごく、大きなことです。根拠のない肯定感ほど欲しかったものはないのです。別に私は、彼らみたいに生きていけるとは思っていません。けれど、こうやって生きている人たちがいることを知ってるだけで、なんだか大丈夫な気持ちになるのです。笑ってられる気がします。



永遠に続く必要なんてありません、好きなところで好きなように辞めてしまっていいです。それまで私は応援していきたいです。